貧困と死刑のつながり
12月14日に開催されたシンポジウム「人の使い捨て 命の使い捨て~貧困から考える死刑~」(共同事務局: 監獄人権センター & アムネスティ・インターナショナル日本)に参加。
私自身、死刑制度、貧困というテーマは、今年に入ってから、講演会や本などで、少しばかりの知識を得ていたので、ある程度関心の高いテーマである。 「貧困」と「死刑」という2大テーマを(単体でも重いテーマなのに)どういうふうにシンポジウムとしてまとめるのか興味があった。 まずは、フィリピンの人権情報センターで、実際、死刑制度を廃止するための運動をしてきて成功をした、トレーシーさんの話を聴く。 死刑制度の歴史や、廃止のための様々な活動を紹介していたが、 人権問題なのだということを国民や政府、議員などにアピールしていったことを力強く語っていたことが印象に残った。 また「貧困」と「死刑」との関係だが、フィリピンでは、死刑囚の8割強が、貧困層であって、貧困層が犯したという犯罪は、その経済的教育的問題で、十分な弁護を受けることが出来ないことが多い事実などを挙げられ、刑事司法の改革を提案された。 その後、若い人の労働問題に取り組むNPOのPOSSE代表の方や、アメリカのドキュメンタリー映画監督の方を交えて討論が行われた。 2人の登壇者とも、運動してきた立場上、「貧困」と「死刑」問題を一緒に関連づけて語るのは、難しいようであった。 しかし国家からの暴力を受けているマイノリティと言う意味では、共通する問題がある、連携しうるのではないかという前向きな、空気が伝わってきた。 また、トレイシーさんの言うように、 「日本はフィリピンのように貧困問題がフィリピンほど常態化していない状態」というのが、 なおさら、当事者以外の人たち=いわゆる一般人が、「問題」として捉えにくい状態を 作っている。またフィリピンでは成功した「人権問題」という切り口でのアピールが、日本の世論を動かしうるのか。 もちろん、貧困も死刑問題も、大きな問題で、簡単に片付く問題ではないのだが、 それらの解決には、子どもへの教育の仕方も大きくかかわってくる。 人を殺すことは悪いというのは、誰でも言える。だが、凶悪犯についてはどうなのだ。 命の重さに違いはあるのか。人を許すとは。 被害者、加害者の立場。 人権とは、自由とは。 労働環境とは。家族とは、コミュニティとは。 人間が生きるには何が大切なのか。 これらは、学校教育では道徳の時間に少しだけ考えたことがあったかもしれない。 来年から裁判員制度が始まり、凶悪犯罪を一般人が裁くことになる。 これまで一般日本人があまり考えてこなかった分野についての思考が必要になるのではないか。子どもも大人も。
by neco5959
| 2008-12-16 00:38
| へえ。そうなのね
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